香川敬三のふるさとをめぐる ②


に引き続き、香川さんの故郷 常陸大宮市をぐるり。


🐣

野口郷校を後にして、続いて向かったのは下伊勢畑地区。


郷校跡からは赤い橋(那珂川大橋)か、そこからさらに西側の御前山橋で渡って向かう。

道幅的に、御前山橋まで行った方がゆとりをもって運転できるし安心して歩ける。

赤い橋を渡ってすぐを右に曲がる道は、片方は御前山の断崖絶壁、もう一方は那珂川への崖が迫り道幅が狭い。地質好きな方はこちらをどうぞ。笑


金井 という交差点で左折して御前山橋に至る。

この辺りに、かつて「金井の渡し」があり、香川さんも渡っていた?とのこと。

橋上からの景色がとてもいい。那珂川の流れに沿って視界が開けて、両側や奥に山々(*´-`)

落ち着く風景だったけど運転していたため撮れず…残念。また今度にします。


さて、車で進むこと10~15分ほど。

御前山橋を渡って突き当たったところを左折。

ちなみに香川さんの生家 蓮田家は、そのちょっとして左側の方にあるらしい。現在もお住まいの方がいらっしゃるということで、この日は行かなかった。

下伊勢畑地区まではほぼ一本道。

ということで着いたのは、吉田神社。

香川さんの養子先の鯉沼家がかつて神官を務めていたという神社。

旧社格は村社。

午後2時頃でこの夕方のような雰囲気。すごくいい。

左はすぐ山、山を削って平らにしたのかな?という所に建っている感じ。

左側の山の方は、御前山県立自然公園。

かつては要害があったらしい…


手前にある灯籠は何年のものだろう、と見てみると、「天保四癸巳十月吉日」とあった。

天保4年頃の香川さんは…と思ったが、天保10年生まれだった。笑


細かい由緒や御祭神は、見たところ分からなかった。

御神紋は左三つ巴。


私の車のナビが古すぎたせいか、この神社が検索に引っかからなかった。

住所は 常陸大宮市下伊勢畑2352

🐥
神社が見つかり参拝をすませたところで、さて次に「鯉沼伊織埋髪塔」探し。

どこかで、神社の本殿裏手にある、と書いてあったのを見たような気がしたので、ぐるっと本殿を回ってみるが、ない。小さな祠は脇にあるが、それらしいものは見当たらない。

もしかしたらこっちかも?と、ひとまず社殿のそばの階段を下りてみる。が、見当たらない。

そして用事までの時間が迫っているので焦る(^_^;

でもせっかくここまで来たからには一目見てから帰りたい、、!


この日は父と一緒だったのだが、父が 人に聞こう、というのでそれに従うことにした。

が。人が歩いていない。わんこはこちらを見て吠えている。笑



すると偶然、畑の中の道を通って男性がこちらにやってきた。

これは好機、とその男性に、「鯉沼伊織の…探してるんですけど…」と恐る恐る聞くと、

「ああ、うちです」という答えが返ってきた。


え!


奇遇にも鯉沼家の方だった。びっくり。

以前、日新塾跡を探していたときや、土方さんのお墓参りをしているときもそんなことがあった。

こういう集落でないとない出逢いだなあ、としみじみ、、、


なんだ掃除してないのに困ったな、と言いつつも、その方は親切に案内してくださった。

(その節は本当にありがとうございましたm(_ _)m)


理髪塔までは旧母屋の敷地から山を少し上る。

鯉沼家の墓地に、埋髪塔はあった。

早速拝ませていただきました。

埋髪塔は大正6(1917)年の建立。
慶応3(1867)年に高野山で挙兵する以前、死を覚悟して頭髪を残していって、それが埋められたという。
側面は少し見られたが、裏面まで見ることはできなかった…。

正面から見て左隣には、竹子さんのお墓もあった。

見える側の側面には、「明治二十四年十一月廿七日」とある。


少しお話を聞かせていただいた。

鯉沼家の家紋は五七の桐を使っていることやそれが香川さんの建てたこの近くにある別邸の屋根にもあるとか、吉田神社の宮司自体は4代前まではやっていた、など。


長くなるので割愛しますが、逢わなければ知れなかったこともあり、時間も忘れるほどわくわくした一時だった。
ありがとうございました!

🐤
鯉沼の家に申し訳ないと思っていた香川さんにとってみれば、今も続いていて守られていることは、何よりだと思う。
学生時代からの私の興味分野である顕彰という点でも、香川さんのことはもっと知っていきたい。いかねば。


用事には遅れてしまったけど、それよりも行きたかった所に行けたことの満足感が勝る。笑
そして、いい出逢いのあったちょい旅でした✨


下伊勢畑地区から那珂川方面を見る

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