流芳碑(茨城県つくば市)



建立年:平成3(1991)年

建立者:関山 豊正

建立地:普門寺(つくば市神郡970)



題:流芳
 田中愿蔵隊陣営の跡
 水戸天狗党の騒乱は 元治元年三月二十七日 筑波山挙兵に始まつた この集団を筑波勢
 と云う 彼等は天下に尊王攘夷を呼號した この一党は四月十日日光東照宮に参拝し 十
 四日には太平山に移動 馳せ参じた客兵も多し 五月晦日には総員壹千餘人となり意氣軒
 昴 幕府追討軍迎撃のため筑波山に帰陣した 田中愿蔵隊はこの筑波勢の一隊である 田
 中隊が當普門寺に駐屯したのは六月中旬である 雨後田中隊は積極果敢に幕軍と交戦した
  是等草莽の諸隊士は戦死又は刑死して悉く国難に殉じた 隊長の愿蔵君は此処に宿陣中
 何を想い何を考えていたのであろうか 福島県塙町の郷土史家金沢春友先生は遺著に 賊
 徒の汚名を受けて十月十六日塙で斬られた田中愿蔵は 勤王討幕の念最も強い二十一歳の
 秀傑であったと評している 後に金沢先生と共に田中隊の雪冤に盡力されたのは 天狗騒
 ぎの著者横瀬夜雨先生であった 茲に陣営の跡を記念し併せて鎮魂の碑とする
 平成三年春 那珂湊市 関山豊正七十七歳誌してこれを建てる

(那珂湊市は現在 ひたちなか市)



 関山豊正氏は、大正3(1914)年に那珂湊市(現ひたちなか市)に生まれ、酒類問屋KK関山商店の社長を務める傍ら、那珂湊市文化財調査委員、商工会議所副会頭などを歴任した人物。本名、駒之介。

 その中で50年間にわたって天狗党について調査し、著書『元治元年』を上巻、中巻、下巻2 冊の計4冊執筆している。この他にも石碑の建立を行っている。


 碑文中に出てくる金沢春友氏は、明治17(1884)年、福島県東白川郡中石井村(現矢祭町)に生まれた。塙町長を務めるなどして、その生涯にわたって天狗党の研究を行った人物。塙町の「田中愿蔵刑場跡」の碑や、棚倉町の「天狗党の墓」の建立に関わった。

 水戸市の祇園寺にある「恩光無辺の碑」の建立者である室田義文氏とも繋がりがあった。 



参考:金沢春友『水戸天狗党と久慈川舟運』柏書房,1974 年、関山豊正『元治元年(上)』出版社不明



撮影日:平成26年4月12日


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