神勢館五町矢場跡(茨城県水戸市)

平成25年9月24日撮影


以下、由来碑より。

 水戸藩第九代藩主斉昭(烈公)が、藩士の砲術訓練場として、この細谷の地に、神勢館五町矢場を、嘉永五年(一八五二年)に着工翌年十月に竣工した。矢場は神勢館より五町(約五五十m)離れた場所に、高さ一五間(約二七m)中四十間(約七二m)奥行三十間(約五四m)ある大砲の的であった。
 その神勢館は、明治維新の戦乱の兵火に遭い、元治元年(一八六四年)八月に焼失し、再建されずに廃止された。幸い矢場は取崩されずに残り、地域住民から「五町矢場」として親しまれ、昭和九年に県より史跡に指定された。城東、浜田、上大野を始め、三の丸や附属の学童は遠足に来て遊び回り、矢場の上から筑波山や那珂川の流れを見たりした。
 しかし、昭和十三年から数度にわたって那珂川が氾濫を繰返し、附近の住民に多大の被害を与えた。そのため国として那珂川に堤防を造ることを決め「五町矢場」はその河川敷となり、昭和二十五年の秋に取崩され、堤防の土の一部となり、姿を消してしまった。惜んでも余りあることである。
 このままでは、「史跡神勢館、五町矢場」が誰れの記憶からも消え去るため、有志が相寄り、相語って、記念碑を建て、その史跡と経緯を碑文に刻み、既存の碑と併せ、末永く語り継がれることを計画したところ、水戸市当局の援助と、建設省の理解を得ると共に、多くの皆様の賛同と芳志をいただき、この事業の完成を見ることが出来ました。
 記念碑落成式に当り、水戸市当局や建設省並びに御芳志をお寄せ下さった皆様に、謹んで謝意を表すると共に、「史跡神勢館、五町矢場」が永く傳承されることを祈念します。
                         平成二年(一九九〇年)十月吉日
                         史跡神勢館、五町矢場建碑委員会
                             会 長
                                                                                                 和 知  忠 雄



住所:水戸市若宮2丁目付近

   国道6号の東側、那珂川堤防沿い

撮影日:平成25年9月24日

あさあけ

いばらき幕末紀行

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