元治甲子殉難碑(天狗党の墓)(茨城県鹿嶋市)

(左から順に)故諸士之墓、殉難諸子之墓、元治甲子殉難碑、他2基


題:元治甲子殉難
 川俣茂七郎組木村兵八田中愿蔵組大古安
 蔵仝篠村重吉鉾田村出生川島久助川俣茂
 七郎足軽政吉佐原旅籠屋近江屋久兵衛岡

 部矢一郎組初五郎林五郎三郎組齊藤釜五

 郎仝石𣘺久兵衛伊藤十一郎組安田兵八加

 代磯吉田口重蔵組金蔵黒澤新次郎組立花

 忠八米川榮吉組中島米二郎忠氏清助高𣘺

 專蔵別當石𠮷麻屋弥𠮷瀧田尾之助金五郎

 飛田藤𠮷氏名不詳二  波山記事



 建立年:不明

 建立者:不明

 建立地:鹿嶋市宮中3576-4





史跡 天狗党の墓

 元治元年(一八六四年)大平組と称する天狗党の一隊八百人余りが宮中へ屯集した。この一隊は、幕府追討軍に追われ鹿島へ集まったもので、旅館や寺院などに宿陣したが、川股茂七郎以下八十人程を殿軍として、大船津から延方へと渡っていった。この時川股勢と幕府軍との間に砲戦があり、大船津は兵火に焼かれる。幕府軍は江戸から府中(石岡市)・玉造・鉾田を経て鹿島へ到着し残党を探索した。捕縛された二十三人は下生の石橋外で打ち首にされ、大掾辺田の馬捨て場に埋められた。明治になり斉藤俊 鹿島初代郡長によって「殉難諸士之墓」が建てられている。

 えのきの下に天狗のお墓(鹿嶋市文化財愛護かるたより)

  昭和五十五年七月十四日 市指定

           鹿嶋市教育委員会

                      (案内板より)


撮影日:平成28年2月7日

0コメント

  • 1000 / 1000