【覚書】「大日本史と近世・近代教育ー人材育成から殖産興業、富国強兵へー」@かすみがうら市歴史博物館

✎2018.8.14


親戚のお家に行くついで、会期終了になってしまう前に何とか行くことができた。


かすみがうら市歴史博物館の企画展、

「大日本史と近世・近代教育ー人材育成から殖産興業、富国強兵へー」。


今展示は、水戸藩内において『大日本史』をはじめとする江戸から明治にかけての教育、そして明治期に活躍したかすみがうら市の人々を紹介し、郷土の発展についてみていくもの。


明治150年ということで各地で様々な展示や行事が盛りだくさんな今年。

この展示もその一つ。


まず『大日本史』100巻にはじまるこの展示だが、

栗田寛や小宮山楓軒の名もみられたなかで気になったのは、 斉藤晩晴 という人。

彼の名は初めて聞いた。


現在のかすみがうら市域にも、かつていくつかの私塾や寺子屋があった。

田伏村出身の斉藤晩晴は、豊田天功や加倉井砂山らと並ぶ学者で、「桑柘村屋(そうしゃそんおく)」という私塾を開いていたとのこと。

名前の響きがどことなく松下村塾に似ている…笑

「出島村史」には そうたくそんおく とルビあり。


斉藤は文化5(1808)年に田伏村に生まれ、立原杏所らに学んだ。

藤田東湖らとの交流もあった。

桑柘村屋の門人は3,000人超だったらしいが、水戸の日新塾も30年間で同程度の塾生・門人がいたそうなので、比較的大きな私塾だったようだ。


その桑柘村屋の史料(何という名だったかは記憶し忘れたけど、塾に来た人の名簿みたいなもの。『積翠軒日誌』だったかな…?)に、桜田門外の変へ参加していた方の名も見えるとのことだった。

その中でほかに、私の低い古文書読解力で見えたのは、読み間違いでなければ、“鯉沼伊織”、とあったような?気がした。のちの香川敬三。

(名があってもおかしくないけど、自分の記憶がかなり怪しいので後日確認したい(^^;)


こういうところから動きや繋がりが見えてくるんだなと、教育ではなくそういうことを考えて見てしまった。

斉藤晩晴については手近なものだと「出島村史」にも記述があるようなので、後日確認。…したが、特に有益な情報はなく。頌徳碑があるそうなのでそのうち探しに行ってみたい。


後半は、横浜で鉄道敷設やガス事業等に携わった高島嘉右衛門、帆引き船を発明した折本良平、ソーセージの父・飯田吉英 が紹介されていた。


『大日本史』や水戸学からすべて繋がるというわけではないかもしれないが、向学の精神は受け継がれていったのだと認識し直すことができた。

そしてメモってこい私。笑


0コメント

  • 1000 / 1000