【覚書】「大日本史と近世・近代教育ー人材育成から殖産興業、富国強兵へー」@かすみがうら市歴史博物館
「大日本史と近世・近代教育ー人材育成から殖産興業、富国強兵へー」。
明治150年ということで各地で様々な展示や行事が盛りだくさんな今年。
この展示もその一つ。
まず『大日本史』100巻にはじまるこの展示だが、
栗田寛や小宮山楓軒の名もみられたなかで気になったのは、 斉藤晩晴 という人。
彼の名は初めて聞いた。
現在のかすみがうら市域にも、かつていくつかの私塾や寺子屋があった。
田伏村出身の斉藤晩晴は、豊田天功や加倉井砂山らと並ぶ学者で、「桑柘村屋(そうしゃそんおく)」という私塾を開いていたとのこと。
名前の響きがどことなく松下村塾に似ている…笑
「出島村史」には そうたくそんおく とルビあり。
斉藤は文化5(1808)年に田伏村に生まれ、立原杏所らに学んだ。
藤田東湖らとの交流もあった。
桑柘村屋の門人は3,000人超だったらしいが、水戸の日新塾も30年間で同程度の塾生・門人がいたそうなので、比較的大きな私塾だったようだ。
その桑柘村屋の史料(何という名だったかは記憶し忘れたけど、塾に来た人の名簿みたいなもの。『積翠軒日誌』だったかな…?)に、桜田門外の変へ参加していた方の名も見えるとのことだった。
その中でほかに、私の低い古文書読解力で見えたのは、読み間違いでなければ、“鯉沼伊織”、とあったような?気がした。のちの香川敬三。
(名があってもおかしくないけど、自分の記憶がかなり怪しいので後日確認したい(^^;)
こういうところから動きや繋がりが見えてくるんだなと、教育ではなくそういうことを考えて見てしまった。
斉藤晩晴については手近なものだと「出島村史」にも記述があるようなので、後日確認。…したが、特に有益な情報はなく。頌徳碑があるそうなのでそのうち探しに行ってみたい。
後半は、横浜で鉄道敷設やガス事業等に携わった高島嘉右衛門、帆引き船を発明した折本良平、ソーセージの父・飯田吉英 が紹介されていた。
『大日本史』や水戸学からすべて繋がるというわけではないかもしれないが、向学の精神は受け継がれていったのだと認識し直すことができた。
そしてメモってこい私。笑
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