天狗勢稲荷山陣地跡(茨城県ひたちなか市)


石碑建立年:平成4(1992)年

建立者:関山 豊正氏


水戸天狗動乱 元治元年八月十一日天狗諸隊は那珂湊に拠った。宍戸藩主松平頼徳は

水戸順公の代理として湊御殿に、従衛せる大発勢は水門郷校に、また反射炉などにそ

れぞれ滞陣した。潮来館勢は殿山に、水門館勢は橿原神宮に、小川館勢は武田伊賀に

附属して館山に布陣し、那珂湊を防衛した。これを三館の衆と云う。急進激派の筑波

勢は平磯を守った九月下旬幕軍は大挙して那珂湊を包囲し総攻撃は数度に及んだ。こ

の稲荷山陣地の守兵は筑波勢、潮来館勢、水門館勢と大発勢の一部であった。彼等の

白兵激闘は積極果敢であった。水門館勢の泉彦九郎は後日その回顧録に、筑波勢は強

かった、と記している。稲荷山とは当時の仮称である。彼等は個々の白兵戦には勝っ

たけれども戦争に勝つことはできなかった。

   平成四年春 那珂湊 □□~(人名?読み取れず…おそらく「関山豊正」)

(石碑より)



畑の中にこんもりとした場所があり、この道沿いから1枚目の写真の稲荷のようなものが見える。ここは和尚塚古墳という古墳の一部にあたる模様。辺りは見渡す限り平地が続く。

部田野原の戦いと呼ばれる戦いの天狗党の陣地跡。



撮影日:平成28(2016)年8月21日

あさあけ

いばらき幕末紀行

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